『干物妹!うまるちゃん』 感想:「甘え」について

 
 
 

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アニメイトTV 「7月8日放送『干物妹!うまるちゃん』第1話より、先行場面カット&あらすじを大公開!」より引用

 


 うまるについて感想。ネタバレあり。キーワードは「甘え」かな。このアニメについて個人的に面白いと思えたのは、兄の前で「良い子ちゃん」であったうまるが、駄々っ子である「こまる」に変化したという作品背景です。それは元々物心付いたときから公理として「自分が相手に合わせてもらって当然」と思っている純粋な餓鬼ではなく、一度「もしかしたら兄にとって理想の妹でなければ、兄が相手をしてくれなくなるのでは?」と考え、兄の前で「良い子ちゃん」になっていたうまるが、例え何をしても兄は私を愛してくれるという確信を持つに至ったというわけで。甘えられない現代人なんて話を耳にしますが、どうして兄に対して「良い子ちゃん」を克服して甘えられるようになったのか。またなぜその甘えの形が幼児化なのか。とか考えだすと、結構今のために今を切り取った良い作品なんじゃないのかなーと思います。

 簡単に作品内容をまとめると、家の外では容姿端麗で温厚篤実、文武両道である埋が、家の中では自堕落な生活を送りつつ(兄に対して)傍若無人に振る舞うただのギャグアニメです。なので以下はただの妄想です。

 外面だけは良い子ってのは実際は内心腹黒だと描写されることが多い一方で、埋はあくまで(兄の前や兄に関することでない限り)腹黒ではなく、誰に対しても根から素直な良い子として描かれていたのが印象的でした。埋は相手との距離を測り損ねることなく、周りから一目置かれるようにしっかりと立ち回っており、「学校ではこういう設定」と漏らすように他人との関係を調整しています。一対多の関係はさすがにフィクション臭さを消しきれませんが、話を追ってみると、こと一対一で相手と対面する時、埋は偏見なく相手個人を捉え「相手が何をしたいのか」を観察し、それに合わせて行動する聡明さと優しさを備えた子であることが伺えます。うまるのときでも、こまるのときでもです。打算なく素として相手に合わせて喜ばそうとする埋はカントも認める倫理を備えた聖人君子の類でしょう。こう見るとやはり例外としての兄への態度が意味わからんのです。きっと兄もなぜだと思っているはずです。身内だから隠された埋の本性が露呈したと単純に考えるには、外面に打算がなさすぎて、外面も本性のように見えます。状況に合わせて人格を切り分けているというより、両方とも自然体な埋で、つまるところ、環境が変化した時に埋が意識的に態度を変えているのではなく、環境が変化した時自然と埋の態度が変わっている。ここに、ただ対峙している人によって態度を変えるという意味での「分人」では捉えきれない違いがあり、その違いが埋については「甘え」で説明できる気がします。(補足:意識的に態度を変えているといっても、その変更を自覚している人は少ないでしょう。なので、ここでの「意識的に態度を変える」とは、社会的に親子関係はこうあるべき、兄妹関係はこうあるべき、みたいな要請に従って態度を変えていること、が一番私の言いたいことに近い気がします)

 うまるは誰に対しても合わせて行動をしますが、逆に言えば他の人に合わせてもらうことはないわけです。つまるところ、うまるは他人に対して甘えることをしません。また彼女は素として相手に合わせてしまうので、意図的に相手に合わせてもらおう、甘えようと考えるのは、彼女自身彼女らしくない行為に思えて、簡単には実行できない類の考えです。彼女が彼女らしい範囲内で甘えられる相手は、自分より立場が上で、かつ、埋と同じように相手に合わせようとする人だけでしょう。この場合、埋が相手に合わせようとすると、相手が埋に合わせようとしているので、埋が相手に合わせてもらう結果に自然と落ち着くわけです。言うまでもなく作中では兄がその役に当たります。

 しかしながら、合わせてもらえる状況になったとしても、実際には簡単に甘えられるわけではありません。というのも、「良い子にしてたか~」と言われながら育てられてきた埋としては、「甘え」てしまうとその態度は兄の思う「良い子」から離れた行為であるかもしれず、下手に甘えた結果、関係が終了してしまう恐れがあります。甘えられる状況ですが、心境として甘えるに甘えられない生殺し状態なのです。俗に言う「良い子ちゃんを演じさせられてきた」という正体がこのような生殺し状態なのかな、と思います。そして実際、以前は、埋は兄に対して「良い子ちゃん」だったようです。埋からすると良い子ちゃんをしている間は、最悪ではないが、そこまで居心地の良い兄との関係ではなかったはずです。本音だって簡単には言えない状況でしょう。そして、現状こまるはそのような恐れを一切持っておらず、どこまでも自分に合わせてもらっています。この作品の売りの1つは、そんな、兄を愛を全面的に信頼して行動している、甘ったるい、しかしながら現実にもありそうな兄弟関係の理想を示しているところだと思います。

 ではどうやって埋は、自分がどんな行為をしても兄は見捨てないと確信に至ったのか。残念ながら作中では以前と現状の違いは語られますが、変容の過程は語られていません(アニメ10話まで、かつ原作未読)。ですが、推し量れるだけの背景は見えています。

 目につくのは、兄の生活の空虚さです。無欲で、趣味もなければ、どのように生きたいかなんてビジョンも持ち合わせていない。一人暮らしで社畜、ただただ毎日を消費するような感じです。そんな兄に対して埋はちょっとしたサプライズを、刺激を提供したのではないかと思います。何もない生活より、多少面倒事でも何かある方が人生は充実しているもので、聡明で思いやりのある埋なら、察して行動に移していてもおかしくありません。そしてその中に甘えてみるという項目もあったのだと思います。OP曲の歌詞で「わがまま放題は大好きの裏返し」というフレーズがありますが、これは森見登美彦著作『四畳半神話大系』の小津の「僕なりの愛ですよ」と同義です。ここらへんは『四畳半神話大系』のテーマの1つなのでそちらをご覧になった方が理解しやすいと思います。まぁこまるの現状はもう信頼性の裏返しという言葉が適切な気もしますが、兄の充実のために甘えてみると兄は甘える埋を許容してくれて、埋は回数を重ねる毎に恐れがなくなっていき、兄の望む通りに自らに合わせてもらうようになったのだと思います。埋の自然な範囲内でどこまでも甘えさせてくれると判明した兄は埋にとって特別な存在に違いありません。

 ここで、ただの一例ですが、ヒモ男の話を1つ。ヒモ男が相手の女性が自分に甘えさせてくれるかどうか確かめる方法に、机の下で足を当ててみるという方法があるらしいです。その結果(相手が一切悪くないのに)「ごめんなさい」と謝ってくる女性は甘えられる相手であると判断できると聞いたことがあります。甘えられない人が覚えておいた方がいいのは、甘えるにはどこまでが許容範囲かを打診する試しが必要だということです。また打診は最悪の場合に関係を修復することを念頭に置くならば、小さいことから始め、言い訳の大義名分も必要です。ヒモ男なら偶然足があたったと言えるし、うまるの場合はただ兄の充実を思っての行動だったのだと思います。そして、相手の反応を見て出すぎた真似をしたとときにちゃんと謝って、範囲を見極めていけば、大抵の人は目くじらを立てることはしないと思います。甘えるにも、トライ・アンド・エラーとリスクマネジメントというところでしょうか。不器用ですからとか宣って相手に期待するのは稚拙でしょう。

 愛の形は人それぞれよね、とは言いますが、なぜに埋の場合は幼児化なんでしょうかね。思い出すのは、岡田斗司夫著作『オタクの息子に悩んでます』に掲載されていた「(独り立ちしている)大人の娘が実家に戻ってくると子供のように甘える」という話です。独り立ちした娘は実家の中では大人の女性として役割がなく居心地が悪いために、実家でのかつての役割である子供になることで彼女は居心地の悪さに対処しているという内容です。そういう役割という側面から見ると、埋の幼児化が分かる気がします。

 兄は共同体の組合員として埋に役割を与えず、ただただ面倒を見ていた結果、彼らの関係はそのまま固まり、養育する役割の兄と養育される役割の妹という関係だけが出来上がってしまっています。埋が甘えるとすると、その関係の上で甘えるのが自然で、他に甘える形がないのです。もし仮に彼らがカップルだったとすると、彼氏彼女の関係の中で甘え、親と子のような現状にはならなかったのではないかと思います(とはいえ、カップル像は人それぞれで、養う側と養われる側という関係を理想とする人もいるでしょうが)。とどのつまり、埋は養われる側の役割を全うし、その中で甘える方法として、面倒を見られる堕落した子供になっているのだと思います。漫喫の話は、堕落は兄を充実させたり、兄に甘えたりするただの’方法’であるため、兄の関係のない空間で堕落するのは、やっぱり埋にとってなんか目的の違う違和感ある行為だと感じる、という話なのだと思います。(ただし、ゲーセンだけは例外で、彼女にとって他に意味ある特別な空間に思えます。やっぱり兄関係かな?ゲーセンのぬいぐるみ?)

 作品は、エンタメ性のために、既にかなり埋が幼児化した時点から始まっていますが、それは逆に言えば、既に埋が兄に対してどこまで甘えても、自分に合わせてくれる許してもらえるという信頼感を持っている状態でもあります。そのような信頼感を持っている兄妹関係の理想を示している日常系なのでしょう。

 とはいえ、兄からすれば何が理想だと怒られかねませんね。信頼感を持っているという点では素晴らしいかもしれませんが、その現れ方がこまるですし。兄としては他にやることもなく一応充実はしているが、もうちょっと親しき仲にも礼儀ありをして欲しいんだがなー、という心境で、状況を打開するため、兄はこまるに対して自律しろと怒るわけですが、それは躾ける側と甘えて躾けられる側という関係の肯定でしかなく逆効果です。実際に必要なのは、他の関係でしょう。そのために育てる兄と面倒を見られる妹という上下関係を均せるような、家族としての役目を埋に全うさせることが必要だと思います。一番印象に残った話は、役割より兄への信頼性が勝って埋が自分から料理を手伝いに来た話で、あれが分岐点なんでしょうね(手伝いが続けばですが)。

 最後に関係性に対する個人的な評価としては、信頼性が透ける微笑ましい関係ではありますが、役割配分が不味いために互いに尊重できるような関係ではなく、また埋が兄の愛をもはや盲信してるけど、いつか兄が(微レ存ですが)爆発する可能性もある準安定的な関係やなーと思いました。個人的な嗜好としては、三上小又著作『ゆゆ式』のゆずこらのように良い関係性を維持していこうという気概に逞しさを感じるので、兄の優しさに依存しすぎた現状はあんまり芳しくないように思えます。一方で『ゆゆ式』と比べると、3人と2人や、友人と家族という違いの他に、『ゆゆ式』は完全フラットな上下関係のない関係性なのに対し(そのため、学生後は利害関係や上下関係のない場はそうそうないため、似たような状況になれるのは精神病院とか老人ホームぐらいだろうと思える)、うまるは上下関係のある中での1つの安定点であるという点でより実利的だなとは感じました。それと少なくても今回、「甘え」に関していろいろと学ばさせてもらえた気がします。(次は隙かな。にしてもまた最後に必ずゆゆ式と比べてしまうのはもはやなんとも……)
 正直ギャグアニメとして純粋に笑えるという点ではそれなりでしたが(ラブラボや野崎くんが強すぎた。あ、でもラップ幽霊たち?には爆笑しました)、個人的に今季のゆゆ式枠でした。なーんつって。

 ご精読ありがとうございました。

 

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アニメイトTV 「7月8日放送『干物妹!うまるちゃん』第1話より、先行場面カット&あらすじを大公開!」より引用